别名:
凉月号驱逐舰
、秋月型駆逐艦3番艦
、别名: すずつき
、别名: Suzutsuki
更多信息
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体重:
基準排水量2,701t / 公試排水量3,470t
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BWH:
全長134.2m / 最大幅11.6m / 吃水4.15m
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画师:
しずまよしのり
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图鉴编号:
332→337
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生日:
1942-03-04
日本海軍の駆逐艦。秋月型駆逐艦の3番艦である。太平洋戦争末期には涼月型という表記も見られた。艦名は片桐大自の研究によれば「さわやかに澄みきった秋の月」。凉月という表記も見られるが、公文書上「涼月」と命名されており「凉月」への改名や訂正の記録は存在しない。艦名はあきづき型護衛艦「すずつき」に継承された。
一等駆逐艦涼月(すずつき)は、1942年(昭和17年)12月下旬に三菱長崎造船所で竣工した秋月型駆逐艦の3番艦。1943年(昭和18年)1月15日、第十戦隊麾下の第61駆逐隊に編入。姉妹艦初月や若月(8月15日附で第61駆逐隊編入)等と共に、輸送作戦や護衛任務に従事した。
1944年(昭和19年)1月16日、特設巡洋艦赤城丸を護衛中、涼月は高知県沖合で米潜水艦の魚雷攻撃を受け大破。艦前部と艦尾を喪失した。第61駆逐隊司令や涼月艦長を含め多数の乗組員が戦死。初月や救援部隊に曳航され、辛うじて呉にもどった。
呉海軍工廠で半年以上修理を行ったあとの同年10月16日、姉妹艦若月と共に輸送作戦従事中、九州沖合で米潜水艦に襲撃され艦首部に被雷、再び修理を行った。本艦修理中に生起したレイテ沖海戦と多号作戦で、61駆僚艦3隻(秋月、初月、若月)は沈没した。11月15日附で第61駆逐隊は解隊され、涼月は第41駆逐隊に編入された。11月下旬から12月上旬まで第41駆逐隊(涼月、冬月)と駆逐艦槇は空母隼鷹護衛任務に従事(帰路は戦艦榛名も同行)。
1945年(昭和20年)4月上旬、戦艦大和(第二艦隊旗艦)および軽巡洋艦矢矧(第二水雷戦隊旗艦)以下駆逐艦8隻(第17駆逐隊〈磯風、雪風、浜風〉、第21駆逐隊〈朝霜、初霜、霞〉、第41駆逐隊〈冬月、涼月〉)の第一遊撃部隊は沖縄突入作戦に参加(天号作戦)。4月7日、涼月は坊ノ岬沖海戦で被弾して大破、戦死者57名・負傷者34名を出す。同戦闘で6隻(大和、矢矧、朝霜、霞、磯風、浜風)が沈没。翌日、涼月は後進状態で辛うじて佐世保に帰投した。
応急修理状態のまま防空砲台となり、7月5日附で第41駆逐隊から除かれ、予備艦となる。その状態で終戦の日を迎えた。その後、本艦以下駆逐艦3隻(涼月、冬月、柳)は北九州港(福岡県北九州市)の防波堤として使用された(軍艦防波堤)。